会員コラム:「新米爺さんの独り言」ー昔の常識、今の非常識ー 宮崎生協病院 小児科 上野 満
来年は還暦ですと告白すると、「えっ本当ですか?」と驚く方が多く、見え透いたお世辞半分と思いながらも悪い気はしない。しかし、今年は初孫まで授かってしまい、文字通りジジイになってしまった私である。昔話をしたくなるのも老いた証拠かもしれないが、しばしお付き合いを願いたい。
医師免許をいただいたのは1984年であるから小児科医として33年を生きてきたことになる。30年以上たっても変わらぬ医学の大原則もあるが、考えもしなかったような常識の大転換にも何度も遭遇してきた。一番驚いたのは、ケガや火傷の処置の仕方であろうか。昔は、「傷は毎日消毒して清潔なガーゼを当てる」というのが基本中の基本であり、誰も異議をはさむ者はいなかった。ところがである。現在の常識は「傷は消毒してはいけない」なのだ。汚れた傷は流水で洗い流し(滅菌水なんか不要。水道水で十分)、被覆材(家庭用のラップでも可)で覆って後はそのままというのが常識になってしまった。消毒はバイ菌も殺すが、自分の大事な細胞も傷つけてしまうということらしい。自分の傷で試してみて、その治りの速さに驚いてしまった(もちろん例外あり。医師の指示に従うこと)。
アレルギー疾患への対応も、30年で180度変わってしまった。いや、30年前にも当時の常識に疑問を持つ者はいたのであるが、多勢に無勢で黙るしかなかった。何のことかというと、除去食療法である。じんましんやアナフィラキシーなどアレルギーの関与が強く疑われる疾患はもちろん、胃腸炎や腎炎、ネフローゼなどおよそ子どもの慢性疾患はすべて食物アレルギーが原因だと言い切る医師まで登場し、血液検査で陽性が出た食品は徹底的に除去すべしという説が医療界を席巻したのである。一度でも卵焼きに使ったフライパンは以後使用禁止にされてしまったのであるから、恐れ入谷の鬼子母神*である。現在でも、症状が出るのであれば原則除去は変わりない。しかし、たとえ検査で陽性であっても、実際に食して問題がないのであれば、むしろ食べていた方が、アレルギーが軽くなるというデータが次々と出てきたのである。治療方針は検査結果ではなく、実際がどうかで判断される時代になったのだ。保育園関係の皆さん、「心配だから検査をしてもらってください」はもう言わないでいただきたい。
さて、これからいよいよインフルエンザの季節である。私が小児科医になって最初の10年以上は、迅速検査なんて夢のまた夢。もちろん治療薬などありもしなかった。普通の風邪にしてはちょっと重そうな子どもには「インフルエンザだと思うから、家でおとなしくしておくように」。これでおしまい。もちろん、ほぼ100%の子どもがそれでよくなり、何にも困らなかったのである。それが迅速検査と治療薬の登場で医療現場は激変。一刻も早い診断と治療薬を求めて急病センターにも連日長蛇の列(注)。私も人の親。気持ちはわかるが、ちょっと待ってほしい。あわてなくても48時間以内であれば治療薬の効果は期待できるのである。本当に今、治療が必要な救急患者が待たされてはいないだろうか。
「昔はよかったな…」って、何が良かったのかよくわからないが、今の常識だって、いずれは非常識になるかもしれない。老体に鞭打って、日々研鑽に励まねばと気持ちだけは若くありたい新米爺さんの独り言に、お付き合い感謝申し上げる。
(注)宮崎市夜間急病センター小児科では、現在は原則としてインフルエンザなどの迅速検査は行っていません。
* 恐れ入谷の鬼子母神:「恐れ入る」の「入る」と地名の「入谷」をかけ、さらに入谷にある鬼子母神に続けて口調をよくした表現。恐れ入りました、の意。大辞林第3版