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会員コラム:開業 41年目に思うこと 宮崎県小児科医会 幹事(山内小児科医院)山内良澄

 早いもので開業して41年目になった。今、診ている子供達は孫の世代になった。
開業当初は、積極的に夜間も診ていたせいか印象に残っている症例が多数ある。その中で数例を思い出してみる。
 4歳男児が夜8時頃に腹痛で来院した。母親によると腹痛でのたうち回っているとの事であった。顔色不良、発汗があり「痛い痛い」と泣き叫んでいた。早速、血液検査・胸腹部立位単純X―P(レントゲン)そしてグリセリン浣腸を施行した。排便後に急にぐったりして、ベッドの上で動かなくなった。丁度その頃に、X―P(レントゲン)が出来て見てみると胸腔内にガス像が写っていた。横隔膜ヘルニアだと診断して、国立都城病院へ紹介した。bochdalek孔ヘルニア(胃腸が胸の中に入り込み肺を圧迫する重篤な疾患。)との事で深夜にわたる大手術となったが一命を取り留めた。
 2例目は、気管支喘息大発作の5歳男児で吸入したが、良くならず、ソリターT3号(水分と電解質を補給するお薬)にネオフィリン(気管支を広げるお薬)を入れて点滴し、側管からハイドロコートン(抗ショック作用により出血やけがによるショック状態を改善するお薬)を静注した。その直後に患児は苦しい気分が悪いと言って、顔色不良となり蕁麻疹も出現した。アナフィラキシーを疑ったが、その時はステロイドで起こるとは思われず、ひたすら様子を見た。40分位して呼吸状態が良くなり、元気に回復した。そして鼻歌を歌いながら帰っていった。この様にアナフィラキシーショックとまではいかないが、たくさんの色々症状が出る例が散見される。その後、同様に症状が出現した例があり、外来でのハイドロコートンの使用は行わなくなった。
 開業当初は、インフルエンザの流行期にタミフルもなく、休日在宅医などは、かなりの数の患児を観ていた。朝から深夜まで診察して1日に420人診たこともあった。当時は、子供の数も多く、今の少子高齢化とは全く違う時代であった。
 少し笑える話があった。保育園で熱があるとの事で呼ばれて男児のおばあちゃんが連れてきた。保母さんより、何とかという病気が疑われると言われたが、何という名前だったか忘れた。「養老年金」のような名前だったという。そこで私が溶連菌感染症じゃなかった?というと、「それです」と言う。少し笑ってしまった。
 さて、私はあと何年位続けられるかわからないが精一杯頑張りたいと思っている。幸い長男が小児科医なので早く帰ってきてほしいと願う今日この頃である。