会員コラム:福岡で食べたチキン南蛮、そしてコーヒー 宮崎県小児科医会 幹事(まつおか小児科・いけだ小児神経内科)池田 俊郎
ある時、私は出張先の福岡で昼食をとる必要があった。どこで食べるか迷った揚げ句、たまたま目に付いた、ホテル併設のカフェのような店に入った。今日のランチは「チキン南蛮」とある。宮崎のソウルフードとも言えるチキン南蛮を、県外で食べるのは初めてだ。興味をそそられ、注文してみた。
その時のチキン南蛮に、最も記憶に近いものを図1として挙げてみる。何かが違う…気がする。私のイメージするチキン南蛮は、例えば図2のようなものだ。何が違うのだ…。ランチを前に、私は思い悩んだ。
確かに、揚げた鶏肉が南蛮漬けにしてある。しかし、何かこじゃれた葉野菜のようなものが、きれいに鶏肉の下に敷いてある。しかも、タルタルソースが、上品に横に添えてあったように思う。とどめに、香草のようなものが添えてあるのだ。いや、きれいなのだ。おいしそうなのだ。しかし、「チキン南蛮」といえば、こうじゃないだろう。
個人的には、揚げた鶏肉に、タルタルソースは容赦なくドバッとかけて欲しい。添えた野菜も、刻んだキャベツとか、あるいはレタスでも、定食屋さんのように大皿の横の方に盛ってあると、食べ慣れた感がする。チキン南蛮に香草は不要だろう。これは私の思い込みか?いや、しかし今まで食べてきたチキン南蛮はそんな感じだったように思う。
後日、宮崎人に意見を求めるため、そのチキン南蛮を写真に撮ろうかと思った。しかしSNS にまったく疎い中年男性の私は、ランチを写真に撮るという行為が、なんだか恥ずかしいのだ。オジさんがなにやってんの、と自虐してしまうと言うか。かくして、チキン南蛮の写真は撮れず。空腹は満たされたが、なんだかもやもやしながら、食後のコーヒーを待った。
出てきたコーヒーは図3であった。器に、なぜか溝が切ってある。ジャムの瓶か?なんでジャムの瓶でコーヒーを飲まねばならんのだ??しかしストローがさしてある、やはりこれで飲むのだろう。
なにかの冗談かと思って、品がないが、隣の席をのぞき込んだ。隣の人も、同じ器でコーヒーを飲んでいた。よかった…私だけが担がれたのかと思った…。いや、安心している場合ではなかろう。となれば、やはりこれがこのお店のスタイルなのだろう。
店はきれいで、感じは良い。となれば、これがおしゃれで、おじさんたる私はそのセンスが理解できないのだろうか。これがおしゃれ、これがおしゃれ…アイスコーヒーを前にぶつぶつ呟く私。いや、無理。わからん…ジャムの瓶にしかみえない。
では、この溝には何か構造的なメリットが有るのか。フタができる?しかしテイクアウトするつもりはない。コーヒーの口当たりがよくなる?そんなはずはない。それならストローはつけずに直飲みだろう。ますますわからない。
おじさんの自虐的な自意識より、ジャムの瓶みたいな謎の器への探求心が勝り、アイスコーヒーを写真に撮った次第である。
ランチもコーヒーも、味はとても良かった。お値段も良心的で、繰り返すがとても良いお店だった。しかし、それだけに、心の微妙なもやもやが、何年もずっと残っていた。
今回、もやもやした自分の想いを文章にしてみて、なんだかすっきりした。長年、「これはチキン南蛮ではない!」と思っていたのだが、いまは「福岡に行けば、一味ちがうチキン南蛮とコーヒーがまた味わえるかもしれない」と、前向きに考え直すに至った。文章を書く行為には、心の自浄作用があるのかもしれない。
図1
私の記憶に最も近いもの。実際には、もうすこし大きな塊肉を、切り分けた形だったように思う。出典のcookpadには「香草のチキン唐揚げ」とある。
出典 https://cookpad.com/recipe/1498466
図2
私がイメージする、チキン南蛮の例(宮崎観光情報 旬ナビより)
出典 https://www.kanko-miyazaki.jp/isan/09chikin/index.html
図3
そのとき飲んだコーヒー。お店の名前などは覚えていません。味はとってもよかったです。