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会員コラム:研修医時代の思い出2つ でざわ小児科 出澤 亨

 

最初に一句、“水田はぬるき香りの夜道かな”。全く俳句の素養はありませんが、つらい疲れた状況で浮かんだので気に入っています。小学校の先生の妙に頭に残っていた教えの一つに“米は熱帯生まれの植物だから水田の水は湯にならないとうまい米にならない“。大阪の泉大津市立病院の午前中の週2回のパート勤務を終えて、そこから和歌山の大学に戻り受け持ちの児と、医局の仕事を夜遅くまで行い、南海電車で泉大津に戻り、駅から深夜の毛布の工場街の夜道をとぼとぼ病院の駐車場に、前に水田があり、大阪特有のムーっとした暑さ、小学校の先生の湯になった水の匂いを実感したのです。しかし日南に来て、米のつくり方が全く違うのに驚きました。2期作のなごりか、春が早い日南では3月になると水田に水を張り、7月の終わりには稲刈りをするのに最初驚きました。水田の湯に反します。しかし夏に食べる日南の新米の味は大変おいしいのです。私は後輩の教育とかに関わった経験は乏しく、意見する資格はありません。今も研修医は変わらず私の時以上に大変な苦労をされているように観ています。米の育て方から、医師の修行も1つの方法ではなく、いろいろ方法があるのでは。こじつけで無理がありますが、上出来だとひとりで思っている句に我田引水です。

次に水痘ワクチンについてです。小児白血病、悪性腫瘍、免疫抑制剤治療中の小児は当時院内感染を恐れて個室ないし感染予防に隔離部屋に収容されていました。そこで水痘の発生があると免疫力の落ちている子供なので重症化が予想され大変な騒ぎでした。小児科に入って間もなく阪大微生物研究所の高橋理明博士の水痘ワクチン(効果が認められたのは1974年)は、発売はまだでしたが使用が認められていました。アシクロビルの発見も1974年とありますが、当時、使用はまだまだ先でした。水痘ワクチンの緊急接種の必要があり、さらに対象疾患に予防的に接種のため、当時私の上司で大阪在住の小池通夫助教授は大阪と和歌山の中間に住む私に、夕から行くぞと、阪大微研の研究室へ。そこには助手の山西先生しかいなくて、先生はディープフリーザから出した沢山のワクチンをドライアイスと箱に詰めていただき、私はそれを和歌山に持ち帰り、大学のディープフリーザーに入れて帰宅しました。

阪大微研が開発した水痘ワクチンは、正常児以外、罹患すると重症化するハイリスクの児への接種も目的とされていました。WHOが認める世界で唯一の水痘ワクチンです。その後日本よりむしろ早く世界の多くの国で定期化されてきました。その後抗ウイルス薬も出ましたが、このワクチン開発後はハイリスクの児を水痘から守ることができました。

ヘルペスウイルスと云えばここに登場する山西弘一先生は後の”HHV6は突発性発疹の原因ウイルスである“の発見者。小池通夫先生はジアノッティ様の発疹がEBウイルス感染後にでる症例を報告しています。私は和歌山、大阪間の1往復半を2回しましたが、小池先生はそのたびに、水痘ワクチンの岡株は君の和歌山医大の先輩丸山君が、大阪の警察病院で採取した児の名前から採ったのだといたわってくれました。